Interview : 2021年10月25日 / 2022年01月14日
小佐田裕美(女性経営者)インタビュー
実施日:2021年10月25日
公開日:2022年4月1日
場 所:ZOOMによる遠隔会議方式
語り手:小佐田裕美(こさだひろみ)
聞き手:西倉実季
聞き手:長廣利崇
【語り手プロフィール】
小佐田 裕美
わかやまエデュケーションシステム代表 / 選択理論心理士
岐阜市出身。和歌山大学システム工学部卒業後、東京にある人材教育のコンサルティング会社にシステムエンジニアとして入社。入社1年目に、同社の新人賞を受賞。業務基幹システムや会員サイト、ECサイトなどの企画、設計、開発、保守、運用まで、幅広く担当。
その後、第二の故郷和歌山に戻り、2018年に第一子を出産。『次世代を担う子どもたちにとって、これからの時代に必要不可欠な力を引き出す支援をしたい!』という想いから、心理学をもとにしたICT教育事業で、2019年10月に独立。
こども向けのプログラミング教室の経営や、県主導の『きのくにICT教育』の一環として、和歌山県内の小?中?高の各学校のプログラミング授業の支援を行いながら、フリーのシステムエンジニアとしても活動。
また並行して、選択理論心理士として、心理学や脳科学をもとにした「あそびで学ぶ人間関係づくりのスキル」を園児や保育士に実施。子育て中の方や社会人向けにセミナーやコーチング、企業向けに研修も行っている。
欲求充足の大切さと、よりよい人間関係の築き方を通して、『心豊かに生きる選択』をお手伝い。一児の母。
西倉 そして後ほど、どういうお話だったかということを確認していただいてからなんですけれども、紀州研のオーラルアーカイブというのを作ろうとしていまして。
小佐田 はい。
西倉 時代が移っていっても先人たちがどういう経験をしていたのかとか、どういう思いで人生を生きていたのかということが後の世代の人が分かるように、声の記録を残していくということを今考えておりまして、これからお話しいただくこと、もし後ほど聞いていただいて御了承いただければ、声の形での公開をお願いしたいのですけれども、その辺はいかがでしょうか。
小佐田 今、一瞬飛びました。
西倉 あ、すみません。
小佐田 大丈夫です。
西倉 今、聞こえました、最後まで。
小佐田 はい。
西倉 大丈夫です。
小佐田 はい。
西倉 それではよろしくお願いいたします。
小佐田 お願いいたします。
西倉 長廣先生、いかがでしょう。
長廣 すみません。ちょっと440だけ、音を鳴らします。
2021年10月25日9時32分より、遠隔会議方式によってオサダさんの……。
小佐田 こさだですね。
長廣 すみません。小佐田さんのインタビューを始めます。聞き手は和歌山大学経済学部の長廣利崇と教育学部の西倉実季です。使用する機材はズームです。
すみません、まず生年を教えていただくことは大丈夫でしょうか。生まれた年。
小佐田 大丈夫です。1989年8月11日生まれです。
長廣 居住地はどちらでしょうか。
小佐田 現在ですかね。
長廣 はい。
小佐田 和歌山市です。
長廣 ありがとうございます。
それではインタビューをさせていただきたいと思いますが、まず初めに今されている事業はどのようなものなんでしょうか。
小佐田 私が行っている事業、大きく3つあります。1つが教育事業、2つ目がICT教育事業、3つ目がシステム事業になります。
長廣 ありがとうございます。
小佐田 もしよろしければ資料などもありますので、画面共有させていただくこともできますが。
長廣 録音データなので、また画面、後ほど見せていただきたいと思います。
小佐田 分かりました。
長廣 それで会社起業をされた年はいつなんでしょうか。
小佐田 ちょうど丸2年たちまして、2019年の10月になります。ちなみに、会社、法人は設立していないんですよ。個人事業主として事業を独立してスタートしたという形になります。
長廣 この3つの事業を統合されて、1つの個人事業主としてされている。
小佐田 はい、さようでございます。
長廣 ありがとうございます。
それで、ちょっと企業を定義したいということで、会社員をされていたというふうにユーチューブで。
小佐田 あ、はい。
長廣 見せていただいたんですけど。
小佐田 ありがとうございます。
長廣 会社員をされていたときよりも現在のほうが収入は高いでしょうか。
小佐田 そうですね、はい。
長廣 ありがとうございます。
それじゃあ起業されたということで、今からちょっといろいろと教えていただきたいんですけれども、最初に身につけたスキルの話を教えていただきたいんですが、大学を卒業してから今の事業を始めるまでの過程に関して教えていただきたいんですが、大学はどちらを御卒業されたのでしょうか。
小佐田 卒業は、和歌山大学システム工学部のデザイン情報学科になります。
長廣 ありがとうございます。
大学を御卒業後、企業にお勤めになったのでしょうか。
小佐田 はい、さようでございます。
長廣 どちらの企業かということは、言っていただいても大丈夫でしょうか。
小佐田 はい、大丈夫です。新卒で入社したのが、人材教育のコンサルティング会社、アチーブメント株式会社に入社いたしました。
長廣 ありがとうございます。何か卒業生もいろいろお世話になっているみたいで。
小佐田 いえ、いえ、いえ。先日後輩が入ってきました。
長廣 それでこのアチーブメントという会社は、どのような会社なんでしょうか。
小佐田 選択理論心理学という心理学を基にした人材教育のコンサルティング会社なんですけれども、個人向けと法人向けに研修を提供しているような、研修やセミナーですね。個人向けであれば、集合のセミナーですし、法人様であれば、例えば新卒採用のお手伝いから中間管理職向け研修といったものを提供している会社になります。
長廣 ありがとうございます。
大学で勉強されたことが、この会社でどのように貢献したのでしょうか。
小佐田 ちょっと入社のきっかけのところにも話がつながってくるんですけれども、私、大学で専門で学んでいたのはデザイン情報学科だったので、デザインとシステム開発と統計学というのを専門で3つ学んでいたということにはなります。ただ、大学で活動していたのが学生自主創造科学センターで、学生プロジェクトの代表を和歌山大学時代にやっておりまして、宇宙開発プロジェクトの代表をやっていたんですね。そちらの経験を通して、自分が就職活動をするときに教育関係の仕事に進みたいと強く思ったんですね。ちょっとその辺の背景の詳細は、また後ほどお伝えできればと思うんですけれども。そのときに結局私が学んできた専門性って、どこの業界でも、ぶっちゃけデザインもあるし、システムもあるし、金融系でも、それこそどういう業界でもやれる中で、自分が提供したいと思ったのが、やっぱり社会を支えているのは人だなと思ったので、教育という業界でそういう自分の専門性を生かしたいというふうに思いました。
教育業界という中で探した中で、前職のアチーブメントに出会いまして、そこで伝えていた教育にすごく共感したというのがあります。選考が進むうちに、今会社の中で一番求められているポジションがIT部門だというふうに言われたんですね。なので、人材教育のコンサルティング会社の中の社内SEという形で入社をしました。なので、大学で専門でやっていた専門性というのは、そのまま、生きたまま専門職として仕事をしていたという形になります。
長廣 ありがとうございます。私、ずっと文系だったから分からないんですけど、やはりシス工を卒業したら、SEとして即戦力にすぐなれるんでしょうか。
小佐田 やっぱりそんなことないですね。大学で学ぶ内容は、ベースになる部分はやるんですけれども、やっぱりそれぞれの業界ですとか、会社ですとか、それによってすごい使う言語も違ったりするので、やっぱり学んできているものがそのまま生かせるというのは、結構少ないんじゃないかなと思います。なので、入社してから必ず新入社員研修というのが、どこもある程度の期間あるような形になりますね。私も実際前職の会社で使っていた言語がPHPという言語だったんですが、大学時代には一切やっていなくて、選考期間に勉強して、選考課題はそれで、PHPで出したんですけれども、入社してから2か月間はPHPの言語を学ぶような研修を受けていました。
長廣 ありがとうございます。
スキルを学ばれたもう一つ、宇宙開発プロジェクトというのを先ほど上げられたと思うんですけど、これはどのようなことをされたのでしょうか。
小佐田 和歌山大学のすごい特色の1つだと思うんですけれども、学生自主創造科学センター、今、ちょっと名前若干変わっているかなと思うんですが、当時ですね。そこの取組がどういった取組かといいますと、半年間プロジェクトとして取り組むことで、単位が1単位もらえるよという形で取り組むものになります。既にいろんなプロジェクトが立ち上がっていて、新入生とかはそこのプロジェクトにジョインするという形で半年間取り組む。半年といわず継続して取り組んでいくという形でしているんですけれども。
当時、宇宙開発以外ではソーラーカープロジェクトですとか、レスキューロボットプロジェクトですとか、そういったプロジェクトが複数ありました。そのプロジェクト活動を先生たちが何でしているかという、センター長、当時尾久土先生ですとかが進められていらっしゃったんですけれども、そこでされていた思いみたいなことに触れまして、すごい刺激を受けたというのがあるんですが。
背景としては、やっぱり大学って、小中高、義務教育やってきて、今ほとんどの人が大学まで行くよねって。初めて社会に出るのが、大学と社会で大きく学生という立場から変わるといったときに、大学があまり教育機関としての役割が担えてないんじゃないかと。どちらかというと研究機関に寄ってしまっている。で、本来は社会人になるために最後の出口として学ばないといけないことだと、身につけないといけないことがあるのに、そういうことが足りてないんじゃないかなみたいなところがありまして、社会に出てから任せられる人材を育てるんだというふうに大学で意図して作られているプロジェクト活動というものになるんですね。
なので、ほんとに一企業みたいな形で、半年間で自分たちでこういう成果を出すんですというプレゼンをして、大学から予算を取って、中間報告をして、資金とかも自分たちで企業からスポンサー集めしてですとか。行政機関に対して、何か要るときには申請を出してといったこともやりながら、最後成果報告を出すという取組をしていたという形になります。
長廣 それではこのプロジェクトが、一番大学時代でスキルを身につけるのに一番重要な貢献をしたということでしょうか。
小佐田 そうですね。プロジェクトでの経験が私はとても大きいですね。そこで代表をやっていたので、プロジェクトマネジメントということを学ぶということも、先生たちに御指導いただきながら学ばせていただきました。
長廣 ありがとうございます。
そこで会社に入社することになるわけなんですけれども、会社で身につけたスキルというものについて教えていただきたいんですが。
小佐田 そうですね、その会社に入社するきっかけになるところにもなるんですけれども、実は私、宇宙開発プロジェクトをやりまして、最後大失敗してプロジェクトを終わってしまうんですね。すごい大きな挫折経験をして終わってしまって、引退するという形になりました。そのときにいろいろ悩んだり、結構落ち込むというか、いろいろ悩んだり、へこんだりしたときに就職活動が始まって、どうしようとなってたんですが。そこで前職の会社に出会ったんですけれども、そこで伝えている教育の根本にあるのが選択理論心理学という心理学なんですが、その心理学の考え方にすごい救われたんですね。で、これを基にした教育を広げていくこと、伝えていくことってすごい重要だなというふうに思って、私は前職の会社に入社いたしました。
なので、前職ですごい大きく身につけたものとして、やっぱり教育会社だったので、対人間関係ですとか、問題解決能力ですとか、そういったことをお客様に提供していた会社だったので、社内でその辺りはとても研修も受けさせていただいておりましたし、とても鍛えられました。
長廣 ありがとうございます。
西倉先生、何かスキルの面に関して御質問はないでしょうか。
西倉 今、おっしゃったアチーブメントで採用していた選択理論心理学に、それ以前の挫折経験が緩和されたというか、救われたとおっしゃったんですけれども、どの辺りが小佐田さんがその選択理論にひかれたところというか、どういうふうに救われたのかというところも少し伺いたいのですが、いかがでしょうか。
小佐田 ありがとうございます。選択理論心理学の考え方が、いろいろポイントがあるんですけれども、よりよい人間関係を築くための心理学と言われるように、すごい人間関係を大事にしてるんですね。人の不幸感とか悩みの8割以上は人間関係だって言われるぐらい、しかもそれが身近な大切な人との人間関係でうまくいかなくて、人は不幸感を感じるんだと。私がそのプロジェクトを失敗したのが、まさに人間関係なんですね。そのプロジェクトを進めていく中で目標達成したいという、プロジェクト目標を進めていく中で、メンバー間だったり、先生等含めての人間関係でいろいろごたごたなってしまったというところがあったんですね。
それをどうすればよいのかということが整理できたのもありますし、あと選択理論の考え方でいきますと、人は常に最善なんですよ。今出ている行動は、常にどんな結果であれ最善ですよと。それはその時点から、いつでももちろん改善もしていけるけども、今出たアウトプットは最善なんですという言葉にすごい救われまして。当時は、そのとき何でああなっちゃったんだろうとか、どうしたらよかったんだろうというのをすごい考えたんですけども、自分で答えが出せれなかったんですね。けど、それに触れたときに、でもあのときの私にとってあれは最善だったんだというのをすごい思えて、私は失敗したいと思って失敗したわけじゃない。あのときの私も最善で精いっぱい、どうしたらいいだろうと思ってやって、でも結果はうまくいかなかったけど精いっぱいだった、最善だった。でもあの経験が今は整理ができて、なぜそんなことが起きてしまったかということが分かるようになったので、これを次に生かせばいいんだというふうにすごい前向きに思えるようになったのが大きいですね。
西倉 就職活動のときにその選択理論に出会って、前の会社にお勤めされているときに、より深く学んでいったという理解でよろしいですか。
小佐田 さようでございます。アチーブメントが選考の中で選択理論を学ぶ機会を提供してくださるんですよ。新卒対応の選考会兼セミナーみたいな形で学んでいったので、ちゃんと学べる研修のコースのカリキュラムがあるので、それを入社してから学んで進んでいったという感じですね。
西倉 ありがとうございます。
小佐田 はい。
長廣 ありがとうございました。
それでは、会社には何年勤務されてたんですか。
小佐田 7年半勤めておりました。
長廣 7年半。それで7年半勤めていらっしゃって、そこから起業をすることになるということでよろしいでしょうか。
小佐田 はい。
長廣 そのとき7年半お勤めになった会社をやめて、なぜ起業をされたのかについて次教えていただきたいんですが、起業のきっかけというのはどういうことなんでしょうか。
小佐田 そうですね、そもそも、でも起業するとは全く思ってなかったし、したいとも別に思ってなかったというのが正直なところでして。前職の会社がすごい好きだったので、会社をやめるつもりはもともと全然なかったんですね。いろいろ転機というか、きっかけはあるんですけれども。もともと東京の会社なので東京で勤めていたんですが、主人が和歌山大学で知り合って、和歌山生まれ、和歌山育ちだったので、和歌山に実家があり、一緒に和歌山へ帰ってくるということはもともと言っていまして。4年目ぐらいで関西に戻ってきて、大阪支社に勤務するみたいなふうでやってたんですが、片道2時間通勤みたいな形で、和歌山から大阪通ってという。
長廣 和歌山から、それはどなたが。
小佐田 私がですね。主人と一緒に、大学卒業してから一緒に東京にいまして、東京で結婚して一緒に住んでという形で東京の会社に勤めていたんですが、主人が転職して、ゆくゆくは関西に帰りたいと言っていたので、大阪に転職したんです、主人が。
長廣 ああ、なるほど。はあ、はあ。
小佐田 これに伴って、私も会社と調整、相談をして、何とか。もうIT部門がほぼ私しかいないみたいな状況だったので、抜けられないような状況だったんですね。で、東京にスタッフとかもいた中で、大阪支社に出社してリモートワークで東京のメンバーをマネジメントするみたいな、社内で初めてだったんですけど、そんな形で許可をもらえて大阪に行っていた。大阪支社なので、和歌山市内から片道2時間かけて通勤するみたいな生活をしていたんですけれども。
一番大きかったのは、子供ができたのが大きかったんです。すごい私もハードに働いていたのもありまして、結婚したのは早かったんですけれども、なかなか子供が授かれなくて、ずっと不妊治療で通っていたという状況だったんですね。和歌山に帰って来たのもあって、ほんとに子供を授かるということを最優先にしようというので、仕事をちょっとセーブするような形で、この半年間にかけるというぐらいに注力していたときに、3月ぐらいにやっと5年目にして子供を授かったんですね。そのときもまだ大阪に片道2時間で通勤して、おなかにいる間もという状況だったんですけれども。
ちょっとあまりにも大変になってきたので、いろいろ会社と相談して、和歌山の自宅から在宅勤務が今度はできるようにということで調整して、在宅勤務で仕事を始めたという形でやっていました。やっぱりその間、家族からの反対は結構あったんですね、会社に対して片道2時間通勤しなあかんとか。最終的には在宅勤務許可は出たんですけれども、まだコロナとかも起きる前でしたし、社内で前例がなかったので、在宅勤務に対してのなかなか理解というか、もらえなくて難しかったというような状況でした。で、まあ、できるようにはなったんですね。
それで出産前日までリモートワークで仕事をしているぐらい、結構ちょっと会社の状況が大変だったので、メンバーいなくてという。ぎりぎりまで仕事してて、産後2か月は休みを取って、法律で決まっているので産後2か月は産後休暇は取ったんですけれども。3か月目の育休始まった期間で、超時短勤務で育休を取りながら仕事をするというのが国の制度であるんですね。なので、3か月目からは仕事を始めていて、在宅勤務でという形で、仕事も復帰しているような状況でした。
やっていたんですけれども、今後このままどうなっていくんだろうみたいなところが、やっぱり育休取りながら娘の面倒を見ながら、リモートで仕事をしながら、いろいろ思うことが出てきて。で、ちょっともやもやしながらでも仕事はしていて。ちょうど制度的に半年たつと、育児休業をもらえるのが67%から50%に減るんですね。そうするとその分働く時間が増やせられるので、さらに働く時間を増やすことにして。娘ももう7か月で保育園に入れてしてたときに、この後フルタイムで勤務戻って、キャリアもう一回積んでいくとなったときに、どんなふうになっていくんだろうみたいなイメージがなかったんですよね。前職の会社の中でも、育休取って復帰してという方とかいろんなパターン、少ないながらもいらっしゃったんですが、あまりそれと、この和歌山からもう私は出ていくつもりはなくて、リモートでしかできないというふうになったときに、キャリア面で難しさをいろいろ感じるところが出てきたというのが結構大きいですね。
いろいろ考えて、どうしようかな、どうしようかなと思っていたところで、ちょっと会社側とトラブルみたいなことが起きてしまって。家族からも、もともとずっと家族からは反対されてたんですよ、前職で働いていることをいいふうに思われていなくて、いろいろ言われてた中で私はやりたいというので続けてたという感じだったんですけども。それがいろいろぷつんと来た感じになってしまって、もうやめたらいいよとなって、私の気持ちも切れてしまったので、やめようってなったという感じですね。
そこからやめてどうするとなったときに、転職するみたいなことももちろん考えたんですけども、やっぱり前職の会社が好き過ぎて、やっぱり前職の会社以外のところでやっていくイメージがあまり湧かなかったんですよね。
そんなときに、ちょうど2019年10月に独立するんですが、小中学校でプログラミングの授業が必修化するというちょうどタイミングなんですね。2020年かな、もう全国で小学校から必修化しますよと。そんなときにニュースで知ったのが、実は和歌山県が一番進んでいて、全国では2020年の4月に必修化なんですけど、実は和歌山県は2019年の4月に必修化してるんですね。それのもともとの背景としては、仁坂知事がIT人材を育てることにすごい力を入れていらっしゃって。というのも、和歌山県としては産業がいろいろ他県と比べて難しい中で、白浜をワーケーションという形で、白浜空港と羽田のアクセスがいいというところで、東京のIT企業とかを誘致して、あそこは今ITの企業がいろいろ来ていて、すごい盛んになってきているという背景があります。やっぱりワーケーションだったり、リモートで仕事ができる……ITのところの強みだなみたいなところもあり、和歌山県としてはIT人材を育てることに力を入れていきたいだったので、学校教育の面でもプログラミングの授業を1年早く必修化して、取組を始めたというのを知りました。
その辺を見て聞いたときに、私はもともとSEなので、プログラミングというか専門でやっています。で、私は教育がもともとずっとやりたいと思って教育系をやっていた。やっぱり前職でもどかしかったのが、自分が直接お客様に関わって教育を提供するということはなかったんですね。社内SEなので、バックグラウンドで支えるというところだったので、自分が直接教育の価値を伝えたいとなったときに、教育とプログラミング、ICTというところが合わさって、ああ、これ自分で事業にしたらやれるんじゃないかというのを思いまして、子供向けのプログラミング教室WESスクールというのを2020年の1月に開業したという形になります。
そこで並行して、和歌山県が取り組んでいる、きのくにICT教育の支援員というのもちょうど募集をしていたタイミングでもありまして、和歌山県としては力を入れたいけれども、結局学校の先生たちが全然プログラミングとかやったことないので授業がまともにできないとなったときに、ICTの専門家に授業の支援だったり、先生たち向けの研修という形で、和歌山県全体の小中高のICTスキルを高める支援をしようというのを県が取り組んでいまして、それも見つけたのがあって、きのくにICT支援員というのも応募して、なりまして、その辺りからスタートしていったという形で独立したということになります。長くなりました。
長廣 ありがとうございます。
先ほど和歌山から出て行くつもりはないとおっしゃられていましたが、やはりそこは和歌山でお育ちになったということもあるんでしょうか、それは。
小佐田 私は出身は和歌山ではなくてですね、岐阜県なんですね。岐阜生まれ、岐阜県岐阜市出身で、高校までは岐阜市にいてたという状況なんですが。ちょっと変わっているんですが、我が家がアウトドアが好きな家族でして、我が家で、私が小学校ぐらいから和歌山県がブームになったんですよ、我が家で。毎年長野にはスキーに行くとか、結構いろんなところに遊びに行っていたんですけども、和歌山すごくいいよねというふうになって、年に二、三は遊びに来てたんですね。もともと和歌山県、だから好きだったんですよ、すごいなじみがあってというのと。あと、岐阜と和歌山、結構雰囲気似てるんですね、ちょうどいい田舎具合というか。でも市内なので、ちょっと町でみたいな。岐阜からすると名古屋が近くて、和歌山からは大阪が近くてみたいな位置関係とかも含めて。車生活するみたいなところも似ていると。もともと好きだったところに、ちょっときっかけはいろいろあるんですけれども、御縁があって和歌山大学に来て、和歌山大学時代4年間は下宿というか、ひとり暮らしをして生活をしていたという形だったんですけれども、和歌山大学で今の主人と出会って、いずれ和歌山に帰ってくるし、絶対それは一緒に帰ってきたいと言っていたというのもあります。
東京出て行って、やっぱり東京は住むところじゃないよねみたいな、ここで子育てするというのは絶対にないというのがお互い総意だったんですよね。山が見えないというストレス。電車生活だったりとか。だったので、いずれ和歌山帰るはもちろんイエスで、実際和歌山帰って来て、やっぱり和歌山の生活がすごい心地いいし、好きだし、このままずっと和歌山にいるよねっていう形だったので、じゃあもう和歌山で自分で事業を始めようとなった感じですね。
長廣 パートナーは和歌山にずっと、転勤とかそういう可能性はもうないんでしょうか。ずっと……。
小佐田 いえ、実はちょうど主人も退職しまして、転職しまして、和歌山の会社に替わりました。
長廣 ああ、そうなんですか。
小佐田 はい。
長廣 だからもう和歌山から離れる必要がないということ。
小佐田 はい、さようでございます。主人はもともと東京の会社に勤めていて、転職して大阪の会社に転職をしていて、この間まで大阪に1時間半ぐらいかけて通勤しているという形だったんですけれども、もともと独立願望が主人のほうがあって、いつか自分で事業するんだ、独立するんだということは言っていたんですね。ちょっと想定外に私が先にしちゃったみたいな状況になっちゃったんですけれども。今、またやめたい、独立したいというふうに言っていたところで、ちょっといい御縁があって、和歌山県の企業様で、ちょっと週4日みたいな形での働き方で勤務できることになったので、転職しまして、残りの時間で独立準備……ことをやっていくという形で主人はやっていってます。
長廣 前の会社は、トラブルがなければ、それは今でもお勤めになっていた可能性はあるんでしょうか。
小佐田 そうですね、あると思いますね。
長廣 会社のほうでも在宅勤務を初めて認めるというような形で、かなり期待されている方、人材であったと思うんですけれども、それをやめるとき会社はそれをとどめるというか、やめないでくれとかいうようなことはなかったんですか。
小佐田 そうですね、状況とかもいろいろすごい理解していただけましたし、社長が、社員は家族だというふうに言ってくださるような社長だったので、家族からの反対とかの状況ももちろん御存じでしたし、いろいろ大変な中や、和歌山に帰ったことや、子供が生まれたということですとか、そういったこと含めて家族が一番大事だから、自分たちの家族のことを思ってしてもらったらいいよというところで、あなたが決めたことだからというふうですごい言っていただいた形ですね。自分も育休入るということが、もう生まれるとなったときに後任のことをやっぱり考えていたので、後輩をアサインしていただいて後輩育成したりですとか、すごい引継ぎは進めていっていたという状況ではありました。いろいろすごいぎりぎりまでにはなったんですけれども、それまでは全然1人だったので、抜けられるということが全然イメージ湧かなかったところが、やっと体制として会社としても整えていただけて、抜けても大丈夫、育休で抜けるという予定だったんですけど、かなという状況もできてきていたというところがあるので。もちろん残念がっていただいたのはありがたいんですけど。
長廣 ありがとうございます。
それで和歌山が、ここは偶然だと思うんですけど、IT事業をどんどん進めていこうという和歌山県の方針があって、それと小佐田さんの今までの仕事がマッチングしたような形になったと思うんですけれども、新しい事業を興すときのモチベーションというか、動機づけとか、そのようなことで何かこれをやりたいみたいな形があったんでしょうか、教育。
小佐田 そうですね、お恥ずかしい話、最初は会社をやめるとなったときに、収入がなくなるというところが大きいと思うんですね。そのために、収入をきちんと確保していくために自分がやっぱりできること、やりたいこともあるけども、社会に対して価値提供できることは何だろうみたいなことを考えていたときに、そこだなということで、プログラミング教室がこれからの、ニーズもあるし、提供できるんじゃないかということは思ったというのがあります。
長廣 じゃあ西倉先生、今のお話で何か。
西倉 もともと、何ていうんでしょうか、キャリア志向というか、女性としてどういうふうに働いていきたいとか、会社の中でこういうふうにキャリアアップしていきたいとかという、どういうビジョンを持っておられたか。結婚も早かったとおっしゃったんですけれども、結婚して子供を持って、それでも働き続けるというのをずっと思っていらっしゃったのか。女性の働き方としての、キャリアについてのお考えみたいなものを伺いたいんですけれども。
小佐田 ありがとうございます。それでいうと、めちゃめちゃキャリア志向で、仕事めっちゃ楽しいんですよ、基本的に。結婚して家に入るみたいな選択肢はなくてですね、私が家に入ったら社会に対してもったいないみたいな感じの自分の中で意識があって。なので、子供ができて時短で働くみたいなことも全然イメージはなくて、もうばりばり仕事したいという感じでした。
西倉 仕事優先で結婚しないとか、子供を持たないとかという選択肢もなかったということですね。
小佐田 それはなかったですね。あと子供は欲しいというのはすごいあって、ですし、主人に出会って、この人と結婚するんだろうなという、結婚するんだという感じで大学時代から一緒にいてたのもありましたし。パートナーはとてもすばらしい方なので、この人とずっと一緒にいたいなというのをやっぱり思いました。で、やっぱり子供も欲しいというのがあって。私が、すごい仲がいいんですよ、家族が、もとの両親は仲がよくて、子供たちを連れて週末はいろいろ遊びに行く、キャンプに行く、海に行く、川に行く、スキーに行くみたいなそういう中で育ったので、子供と一緒に遊ぶというのをしてもらっていたのがあるので、子供ができることで遊べなくなるとか、そういうイメージはなくて、一緒に遊んでいったらいいという感覚もあったので、子供は欲しい、今も欲しいと思っていますし。ただ、仕事もしたいと。母は専業主婦だったので、ずっと家にいたタイプだったんですね。ですけど、どちらかというと、父は企業勤めで、大企業勤めで、ばりばり仕事をしていたので、どちらかというと父みたいに仕事もしたいという憧れはありました。
西倉 ありがとうございます。
小佐田 はい。
長廣 ちょっと質問内容が前後するかもしれないんですけれども。
小佐田 はい、大丈夫です。
長廣 ライフイベントですね、結婚や御出産のようなライフイベントは、職歴や起業に影響したでしょうか。
小佐田 しましたね、思いっきり。
長廣 今までのお話をお聞きしてるとそうですね。それじゃちょっと話をまた起業の話のほうをお聞きしたいんですけれども。
小佐田 はい。
長廣 起業の目的、起業に際した目的というのはどのようなものなんでしょうか。
小佐田 起業に際した目的とは、どういうニュアンスで聞いてくださってますか。
長廣 起業の、今の事業の目的です。
小佐田 事業の目的。
長廣 はい。
小佐田 教育というところでいきますと、次世代を担う子供たちにこれから必要不可欠な力を身につけてほしいというのをICT事業ではやっています。事業が3つあるのでややこしいですけれども、やっている内容が全然違うので、それぞれでちょっと言えるかなという形になるので、それぞれでお伝えさせていただいて大丈夫でしょうか。
長廣 はい。
小佐田 ありがとうございます。まず……ですが、どれから行こうかな、今、ICT教育事業が出ていたので、ICT教育事業からで行かせていただきますと、次世代を担う子供たちに内在する可能性を引き出す環境を作りたいというのが目的で、プログラミングの授業をやっています。教育事業ですね。あと、今の学校教育に対していろいろ疑問を持っているところがありまして、それでプログラミング教育に入ったというのはすごいよいなというふうには感じています。正解がないこれからの社会に出たときに、答えがないけれども、今の学校ってテストで点数を取る、答えがあるところに丸をもらうみたいな教育になってしまっているところから、社会に出たら何も答えもないし、どうしていいかも分からない中で、自分で課題を設定して、自分でそれを解決していくという力が必要になっていくと思うんですね。そのときにその力を身につけるのに、そのプログラミング教育がとても有効的だというふうに言われていて、そういう意図を持って文科省も取り入れている背景があります。
プログラミングってうまくいかないのが当たり前なんですね。なので、粘り強く試行錯誤して、どうしたらうまくいくだろうということを繰り返しやっていくという、デバッグをすごい数こなせるというのが、失敗するのが怖い、間違えるのが怖いという子供たちの感覚を壊せるなというふうには思っていて。まずやってみたらいいんだよって。うまくいかなかったら、うまくやれる方法を考えてやったらいいというところで、すごいプログラミング教育はいいなというふうに思っています。で、やっているのがICT教育事業のところになります。
もう一つ、私が今一番メインでしているのが、もともとはICT教育事業のプログラミング教室系から始まったんですけれども、教育事業もやっています。教育事業、私が一番やっていきたいところになりまして。先日、選択理論心理士という心理士の資格も取りまして、今、一般の方向けに教育セミナーなども毎月させていただいております。特にお母さんたちが多いですけれども、お母さんや社会人の方が学びに来てくださったりしています。という教育セミナー系をしているのと。
あと保育園や幼稚園という園児向けにですね、遊びで学ぶ人間関係づくりスキルということで、そこに私の専門のICTを掛け合わせてプログラミング遊びという形で園児たち向けに提供しています。あと、保育園で先生たち向けの研修といったこともしています。あとは、今、学校を作ろうということで、和歌山に新しい小中学校を作るということで、今、一般社団法人を立ち上げまして、今、そちらの学校設立プロジェクトも進めていっているという形になります。
幅広くしているんですけれども、教育事業で私がすごい大事にしている、やっていきたいことが、誰もが生き生きと自分本来を生きるお手伝いをしたい。特に女性に対してなんですよね。女性はやっぱりライフイベントでいろいろ変化が起きて、ライフステージの変化で起きてくる。特に母になるとなると、すごい役割が増えて、自分のことが後回しになっちゃうこともすごいあるかなと思うんですけれども、それを選択理論の中で、いや、そうじゃないんだよって、自分のことを大事にすることがどれだけ大事なのかっていうことをお伝えしている部分がありまして、そういったところを中心にお伝えをしている。
あとは、私は家族というのをキーワードに活動していまして、ハッピーな家族であふれる世界を作っていきたいと思っています。それも事業の目的の1つですね。私の好きな言葉で、マザーテレサの言葉なんですけれども、世界平和のためにできること、家に帰って家族を愛しなさいという言葉があるんですが、世界の最小、社会の最小コミュニティが家族だというふうに私は思っています。なので、その家族がまずハッピーであることがほんとに世界平和につながるなと思っていますし、そこでキーになるのがやっぱりお母さんだったりするんですね。ママが御機嫌でハッピーだと、子供や旦那さんもというところもなってくるので、その考え方だったり、そういうコミュニティの場だったり、そういうものを提供していきたいというふうに思って活動をしております。こんな形で目的になっていますでしょうか。大丈夫でしょうか。
長廣 ありがとうございます。それで、前職は教育セミナーそのものには携われなかったと先ほどお聞きしたんですが、現在そうした教育セミナーを開催することで、夢が実現したというか。
小佐田 そうですね、はい。
長廣 そういう形で考えたらよろしいでしょうか。
小佐田 はい。
長廣 ありがとうございます。
もう一つ、ママがハッピーというのは、それは具体的には母親が幸せであれば、どういうことなんでしょう。家族の。
小佐田 そうですね。ハッピー。イメージしていただくと分かっていただけるかなと思うんですけれども、子供ってやっぱりすごい両親、ママとかパパのことが大好きだと思うんですよね。そのときにママが御機嫌で笑顔でいてくれたら、子供は機嫌がいいんですね、ママがうれしそうだと僕もうれしいみたいな、だと思うんですけど。ママがすごい常に怒っていたりとか、疲れていたりとか、機嫌が悪いと、すごいママの様子を伺っちゃうみたいなになって、子供に対しての影響もよくないですし、ママもハッピーじゃない状態だと思うんですよ。けど、どうしても自分のことよりも家族のことというふうにやっぱりママはなりがちで、子供のことを優先しないといけないんで。どこか自分は我慢してる、私はこんなにやっているのにみたいな気持ちになってしまって、そのこと自体もやっぱりママはハッピーじゃないし。実は子供のためにと思ってそれをしていたとしても、実は子供はそれがお母さんが不機嫌になっているんだったとしたら、逆に子供にとってもハッピーじゃない。なので、自分の欲求充足をママ自身がきちんとすることが大事なんですよと。ママが御機嫌でいることがまずすべきこと、その上で誰かのお手伝いという。
長廣 ありがとうございます。
ちょっと質問をまた返させていただきたいんですが、今の事業は成功されていると御自身で思っておりますか。
小佐田 そうですね、まだまだこれから拡大していきたいだったり、まだまだ広げていきたいというところはあるんですけれども、はい。
長廣 どういうふうに拡大する予定なんでしょうか。
小佐田 そうですね、教育事業のところを特にもちろん広げていきたいと思っているんですけれども、一番大きいのは学校設立していくというところですね。今、2025年4月開校目標でプロジェクトとして進めているところになりますので、それで学校ができていけば、その教育としては広がっていく、私の伝えている選択理論も一気に広げていけるかなと思っているので。
長廣 その法人、会社を設立してというような、今の御自身の事業を拡大していくことも考えていらっしゃるんでしょうか。
小佐田 今の時点では、あまり法人化するとこまでイメージはしていなくて、全然個人事業主として事業をしていくで十分かなというふうには思っています。ちょうどこの10月から従業員も1人入ってくれて、仕事も一緒にやっていけるような状況もできて。従業員って……ですね、アルバイトですね、やってくれる方が見つかってとかなので。
長廣 ちょっと適切な質問かどうかは分からないんですけど、今、例えば母親がハッピーというような理念的なことをおっしゃっていただいたんですけれども、事業としてはお金を稼いで、お金をもうけていかないと、バイトの方にもお金、雇用することができないと思うんですが。
小佐田 もちろん。
長廣 そうした御自身の理念や社会的な目的の達成とお金の関係というのはどういうふうにお考えでしょうか。
小佐田 関係というのは、どういうニュアンスでしてくださってますか。
長廣 率直にいえば、いろいろジェンダー関係の文献では、起業の目的は、男性は名誉や利益や、自分のそうした社会的なポジション、地位を高めるためにあって、女性はどちらかというと社会的な目的とかですね、そうしたことに関して男性と違うんだというような学術的な見解があるんですけれども。そこで今お聞きしたのは、そうしたお金、起業の最大の目的はどういうものなんだろうかなと思って。
小佐田 なるほど、ありがとうございます。
長廣 ゆくゆくはお金ではないような感じが、先ほどのお話では。
小佐田 もう単純ですね。縁ある人々を幸せにするというところに尽きると。幸せを選択できる選択肢を提供するという形ですかね。幸せになるかどうかは、選ぶのは相手になりますので、ただ情報提供はできるかなと思っています。やっぱり利益、もちろん何かするという意味では資金は必要になってきますので、ある程度必要だとは思うんですけれども、すごい売上げ上げたい、稼ぎたいみたいなところは全然ないですね。どれだけ価値提供をして、ありがとうという形で自分に返ってきてるかということだけでしかないなと思いますし。
長廣 もう一つこれも研究的な文献に書いている話なんですけれども、女性の起業は非常に女性同士のネットワークに支えられているということがよく書かれているんですけれども、そうした何か女性同士の起業のネットワークとか、それは和歌山県や、最近だったら全世界SNS等でできると思うんですけれども、何かそういうのがおありなんでしょうか。
小佐田 はい、ございます。具体的には和歌山で活動していらっしゃいますNPO法人ホッピング様ですね。
長廣 ああ。
小佐田 そちらも人づてに教えていただいて、あちらのNPO法人ホッピング様に……ママ講師という活動の種類があります。ママで講師業をしている方が登録して、お互いに情報交換し合いながら一緒に高め合っていきましょうというような形の取組なんですが。昨年度からママ講師に登録させていただいてまして、今年ちょうど10月で期が変わったんですが、10月から2期目に入らせていただきました。そういった形で交流の機会を持ちながら取り組んでおります。
長廣 ありがとうございます。すみません、私ばかりすみません。西倉先生、お願いします。
西倉 先ほどの教育事業のところで、お母さん向けの提供の話も結構ありまして、あと、今、ママ講師というお話もあったんですけれども、小佐田さん御自身が母親になったからこそ、こういう事業をされているというか、もしお子さんがいらっしゃらなかったら、もちろん起業のきっかけ自体が御自身のライフイベントがかなり大きく関係していると思うんですけれども、事業の中身が何となく御自身の母親というアイデンティティがすごく出ているように思ったんですけれども、何かその辺りの自分のプライベートな生活と事業との関係みたいなところを伺いたいなと思ったんですが。
小佐田 まさにそうですね。自分がやっぱりママになったライフイベントの中で大きく変化したということもありますし、ママとして大変だと感じていることもやっぱり身近なママたちも同じだったりしますし、お互いにそういうところが情報提供し合えるなというふうには思って活動しているのもあります。あと、自分の娘に対しての機会提供ということもやっぱりすごい意識をしています。実際学校設立プロジェクトも2025年4月開校目標というのも、娘が小学校に上がるタイミングなんですよ。代表も同じ年の子供がいまして、代表の子供も小学校1年生に入るときを目標にという形で、やっぱり自分事として捉えている。
結局和歌山で、その代表とかは和歌山出身で、今、東京にいてるんですけれども、何で和歌山に。今のこのコロナの状況が起きて東京にいてる必要ないよね、リモートでもできるしねというのもあって、和歌山に帰ろうかとなったけど、教育の選択肢がない。東京とかに比べたら、子供を入れたい学校がないというのがネックになってしまっていると聞いたときに、私はこの先ずっと和歌山にいますし、和歌山が大好きなので、和歌山に何か貢献したいなと思っていたときに自分事とも重なって、和歌山の教育の選択肢を増やしたいというので、今は学校を作ろうというプロジェクトを進めているという感じですね。
西倉 私立の学校ということになりますね。
小佐田 さようでございます。
西倉 それは一応小中一貫みたいな。
小佐田 はい。
西倉 ああ、そうですか。で、結局的にはそちらに娘さんを入学させるというか。
小佐田 はい。
西倉 なるほど。ふうん。
もう一つ、小佐田さんは御自身の認識として、自分は女性起業家だというアイデンティティってお持ちですか。
小佐田 いや、ないですね。別に女性起業家だみたいな感じの認識はあまり持ったことはないですね。
西倉 何か自己紹介されるときというのは、どういうふうに御自身のことをお話しされるんですか。
小佐田 えっ、どういうふうに。和歌山で事業をしていますみたいな感じですかね。
西倉 ああ、事業家とかそんな感じですか。
小佐田 事業家。
西倉 すみません、何か変な質問で。
小佐田 あまりそういう何か名称に対してあまりないですね。教育系の仕事をしていますというような感覚ですかね。
西倉 個人でお仕事されているみたいな感覚でしょうかね。
小佐田 そうですね。……お仕事させていただいてますみたいな感じですかね、教育関係。
西倉 女性起業家というふうにあまり思わないのはどうしてとかありますか。
小佐田 ええっ。多分、まず起業家という、女性を取った起業家というキーワードだけでいうと、私からすると起業家って何?という。ごめんなさい、あまり起業家というのになじみがない。
西倉 その言葉自体に。
小佐田 はい。
西倉 はい、はい。
小佐田 何かみんな、事業を興している人が、起業している人、みんな起業家やんみたいな感じなので。フリーランスの人もいったら別に自分で事業をしてるので起業家じゃないですか。わざわざ起業家って何?みたいな感じの感覚があるので、起業家になじみがないという。
西倉 なるほど。
小佐田 起業をしてますけど、起業家かというとちょっとよく分からなくて、感覚というのが1つと。あとは女性起業家の女性というところでいくと、私は男女差があまりない感覚でというか、それをすごい大事にしているのがあるので、女性だからどうみたいな感じがあまりないですね。
西倉 あえてつけるような。
小佐田 そう、そう。別に男性がしていて、男性起業家って言わないじゃないですか。なぜ女性だから女性起業家って女性ってつけるんだろうみたいな。
西倉 そうですね。男性起業家って言わないですもんね。
小佐田 そう。何か起業家って男性がするものなのに、女性頑張ってるみたいなのが、何かむかつくみたいな。全然女性だからみたいなのが好きじゃないんですよね。
長廣 女性起業家というのは国の政策で、女性のそうした個人事業を増やしたいという国の政策で。
小佐田 分かりますよ。
長廣 女性起業家ってつけて。確かに男性起業家っていうのは聞いたことないですよね。
小佐田 そうですよね。
長廣 女性起業家っていう名称だけですね。うん。
小佐田 でもやっぱり日本の今までの社会背景があるのはもちろん理解はできていて、女性活躍だというふうに言っているように、女性が家にいるものとか、仕事するとかじゃないというすごいバックグラウンドがあるから、そこに力を入れようというふうにして取り組まれているというバックグラウンドが分かった上で。それもすごい大事だとは思っているんですけれども。自分の多分バックグラウンドがすごい大きくあって、ちっちゃい頃から男の子と勝負しても勝てちゃうみたいな、いろんなことで、ときに女のくせにみたいな、悔しがる男の子に言われるみたいな、女のくせにあいつみたいな、そういうので何か自分が女性であることが嫌だった時期もあるんですよ、だから。男性だったら対等でやれるのに、女性であることで、何でしょう、ハンデがあるような状況にいろいろ思うことがあったりもしてたので、女性だからどうってないなっていうのはすごいありますね。でも今そういうふうに女性であることが嫌だなと思っていた時期もあったんですけれど、結婚して、彼とも出会って。ただ出産できるというところで、自分が女性でよかったなとすごい思いますし、今は自分が女性であることが強みだなとは感じているというのもありますね。
長廣 よろしいですか。西倉先生、よろしいですか。
西倉 ありがとうございます。はい。
長廣 ありがとうございます。ちょうど1時間になったので、すみません、いろいろ今日は教えていただきありがとうございました。
小佐田 はい。
長廣 また、ほかの方にもどんどんインタビューをしていくうちに、分からなくなったら2回目お話を教えていただく機会もあるかもしれませんが、またそのときは御連絡をさせていただきたいと思いますので、御検討をよろしくお願いします。
小佐田 ありがとうございます。
西倉 すごく女性の生き方としてもすごく興味深く伺いました。ありがとうございます、お忙しい中お時間を割いていただきまして。
小佐田 いえいえ、ありがとうございます。
長廣 すみません。それじゃあ今日はありがとうございました、どうも。
小佐田 はい、ありがとうございます。
長廣 ありがとうございました。
西倉 ありがとうございました。
小佐田 失礼いたします。