来歴と所蔵構成
- 紀州藩文庫は、紀州藩の藩校旧蔵の国書約9,000冊、漢籍約16,000冊を引継いだものです。
- 藩内にあった藩校「學習館」「紀伊國學所(古學館)」「兵學所」の蔵書の大部分に加え、「田丸城文庫」「若山醫學館」「松坂學問所」等の一部も「和歌山縣學」等を経て、本学の前身「和歌山師範學校」に引継がれました。江戸藩邸の「明教館」「江戸國學所(古學館)」が所蔵した蔵書の一部も含まれます。
- 戦後の学制改革によって、和歌山大学教育学部(当時学芸学部)が継承し、その後同構内にあった附属図書館眞砂町分館に収蔵され、「紀州藩文庫」として再整理が行われました。その後附属図書館の組織改正により、現在図書館(和歌山市栄谷)の所蔵するところとなっています。
学習館について
藩士の子弟に儒学の教養を授ける目的で藩校が設けられました。紀州和歌山藩藩校の名が「学習館」です。また続いて江戸藩邸に「明教館」、伊勢松阪城に「松阪学校」が作られました。
江戸時代初期100年間ほどは藩立学校はなく家塾で学んでいました。
五代藩主(後に八代将軍)徳川吉宗は1713(正徳3)年、和歌山の湊昌平河岸に、初めて藩立学校「講釈所」を開きました(後に「講堂」と改称)。当時これに類する藩校を開設していたのは岡山藩?会津藩?佐賀藩などわずかでした。
十代藩主治宝(はるとみ)は1791(寛政3)年、湊の「講堂」を改修増築して「学習館」と改称し、規則や職員制度を整備しました。1836(天保7)年さらに拡張されています。
幕末の多事にあたって十三代慶福(よしとみ)は、江戸国学所(1855(安政2)年)?紀伊国学所(1856(安政3)年)を開設して国学教育を始めるとともに、江戸文武場(1856(安政3)年)?若山文武場(安政3年から万延年間)を開設して武術とともに和漢洋の学問所を併置して蘭学を授けました。さらに十四代茂承(もちつぐ)は1866(慶応2)年、若山文武場を拡張してそこに「学習館」を移しました。
1869(明治2)年制度変革して四民の入学を許可。1871(明治4)年廃藩置県で藩校は廃止され「県学」になりました。
所蔵内容
国書
「大日本史」、「禮儀類典」(515冊) 、林述齊父子の編著「史料」(208冊) 、屋代弘賢筆写の「篆隷萬象名義」、室直清書入の「東雅」や本居太平の「古學要」、「倭心三百首」の著書の自筆稿本 (?)などの写本類があります。僧契仲、加茂眞淵、本居家、平田篤胤、伴信友関係などの版本類、稿本類、国学類、歌学?歌論?歌集類、あるいは年表?年契類、日記?記録類を含みます。また、北辺、長崎関係の写本類もあります。
漢籍
宋版「方輿勝覧」、朝鮮版「儀禮圖」のほか明版60点余を有します。「三禮義疏」「五經大全」「四書大全」「十三經注疏」「漢魏叢書」「説郛正續」「新刊經解」(通志堂)「皇清經解正續」「七經孟子考文並補遺」「十七史」「文献通考」などの経書、経解、叢書類や、字書類の音韻字書、音形字書、訓詁字書などが体系的に収書されています。仁井田好古の書入本「論語古傳」、自筆稿本といわれる「儲徳略訓」、「毛詩補傳」など、紀州藩儒学者の著作60部もあります。 また、明律の国字解の類では、榊原篁洲原撰「大明律例諺解」の霞洲等参訂草稿、高瀬學山撰「大明律例譯義」草稿、同撰「明律解」写本などがあります。
その他
兵學所の旧蔵本を中心として、天文学、医学、工学、測量学、航海学等の、西洋文物に関する著作、西周、箕作麟祥などの訳になる西洋諸国の法律書や福澤諭吉等の啓蒙書、また、童蒙のための往来物、さらに古地図なども含まれています。
収録?所蔵タイトル
- 紀州藩文庫に収録されている資料のリストはOPAC、および和歌山大学附属図書館真砂分館所蔵『紀州藩文庫目録』(1971)で確認できます。
- 一部のタイトルについては、国文学研究資料館の新日本古典籍総合DB(マイクロフィルム?デジタル)において本文画像を閲覧いただけます。
ご利用について
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